これまでtilt The authenticsとつくった洋服を紹介してきました。
お伝えしておりましたように、販売は、7月15日(土)より岡山で、翌週の22日(土)より東京の北参道でご覧頂けるようにする予定です。
また、東京販売については、場所や日時は、前回お知らせした通りです。
商品を岡山分と東京分とで、分けてはいるのですが、現状ではそんなに数量は多くはなく、3日分でそれぞれ商品を確保しているということでもありません。
初日から続けた在庫とさせて頂きます。
アポイントを取って頂く必要なども一切ありませんので、もし、お越し頂ける方は、営業時間中のいつでもお越し頂けましたら幸いです。
それでは、今日は、最後にtilt The authenticsの中津さんとのインタビューを掲載したいと思います。
これまでブランドデビューより取り扱いをしてきたtilt The authenticsですが、このような形式で掲載するのは初めて。
ですので、長いですが、最後まで見て頂けたら嬉しいです。
僕は、"福田)"として、tilt The authenticsの中津さんは、"中津)"として、記載します。
____________________
福田) それでは、中津さん、宜しくお願いします。
中津) 宜しくお願いします。
福田) ついにですね。2年越し。
中津) やっとですね。
福田) そもそも、初めて出会ったのが、7年前になりますかね?
中津) そうですね。7年になりますね。
福田) 初めての展示会が7年前ですね?
中津) そうですね。
福田) その時に、中津さんに展示会インビテーションをCASANOVA&COに送ってもらって。
思い出すと、なんのブランドかもよく分からず、当時、ただそのインビテーションに何か惹かれるものがあって、行った展示会。
すごくありがたいんですけど、その当時も、結構いろんなブランドさんからインビテーションとか、展示会案内をもらっていたんですけど、その量が多いので、その分、行かない、行けないところが多いんですよね。
でも、何か、不思議と行ってみようと思って、行ってみた。
その時が、初めてですよね。
中津) そうですね。
福田) かなり雨が降ってた日でしたよね。渋谷で。
中津) すごく雨が降ってましたね。
福田) その時、30分くらいでしたね。僕が新幹線の時間がかなり迫ってて。
中津) すごい短い時間で。
福田) そんな短い時間だったんですけど、その時に、初めて中津さんに会って。
その時は、全然服の量も多くなかったですよね。
中津) 10型もないくらいでした。
福田) その時、僕がパッと手に取ったのが、コーデュロイのブラウンのパンツだったのを今でもはっきりと覚えてます。
中津) あの、スリムの。細いパンツですね。
福田) 細いタイプの。そのパンツは、今でも家にありますね。
中津) ありがたいですね。初めての時のパンツ。
福田) その展示会の後も、商品が店に並ぶ前に、中津さんが店まで来てくれたじゃないですか。
その時、なんて丁寧な人なんだろう。って思ったのを覚えてます。
中津) ブランドの初めてのお取り扱い先。
スタートして、初めての右も左も分からない中での時だったので、最初に見にきてくれたバイヤーさんでしたし、店に挨拶に行かないといけないな。って思ったんです。
それに、自分の服がどんなお店に並ぶのかということをちゃんと見ておかないといけないと思って、行かせて頂きましたね。
福田) そう言えば、中津さんは、公にしてないですけど、以前勤めていたブランドは、全然違う感じのブランドでしたよね。笑
中津) 笑。そうですね。
でも、根本的には、結構近くて、細部に目を向けるというか。
つくってるものの表現は違いますけど、本質的な部分は今に通じる部分はあると思っています。
福田) 確かにそういう印象ですね。
中津) 公にはしてないけど。笑
福田) 笑
それで、僕らは、今回で"別注"ってさせてもらうのは、2回目ですね。
中津) そうですね。5年くらい前。
ギンガムチェックのシャツですよね。
福田) そうですね。ギンガムチェック。
6着でしたよね。6着のギンガムチェックの半袖シャツ。
中津) そうでしたね。
福田) それは1日で完売しちゃったから、翌日からは、もはやなかったことになりましたけどね。笑
中津) そうですね。笑
確か、あの時は、福田さんは、"別注"っていうことをあんまりやってなくて、だから、そもそも数もそんなにつくったことがなかったタイミングだったと思うんですよね。
福田) そうでしたね。
中津) それで、福田さんから、「1日で完売しました」「すごいです」っていう連絡をもらったことを僕は、はっきりと覚えています。
1日で完売したということを、僕は、頭の中で鮮烈に残っています。
だから、そういったことなど、福田さんとのモノを通したセッションの積み重ねで、少しずつ経験をつめてきたのが、僕の中で大きいことなんです。
福田) うんうん。
中津) どうしてもデザイナーズとして、デビューして、自分のものが店頭に並ぶってフワフワしちゃうことが多いんですよ。
福田) フワフワする?
中津) はい。もともとは、メーカーに所属して、メーカーのものをつくって、それが並ぶことは見てきていましたが、いざ一人立ちして、自分の商品がお店に並んで、それが買ってもらえるって、全然違うものがある。
それをすごく、自信に変えることができたというのが、最初の別注だと思っています。
福田) なるほど。そうやって思ってもらっていたんですね。
今は、ブランドとして7年になりますよね。
中津) そうですね。準備から数えて、7年です。
福田) デビューしてからは6年ですね。
中津) 6年です。
福田) それは、まず、ファッションブランドって、"10シーズン"の壁があるって言うじゃないですか。"10シーズン"が境目だって、内側では言われる。
だけど、今はそれを超えていますよね。
6年だから、12シーズン。
だから、一つそこは超えてきて、すごいことだな。って思います。
ブランドとして、一人でやってきて。
中津) そうですね。
結構、やってきたなという感覚はあるんですけど、やっと、スタートラインに立てたな。という感覚でもあるんですよ。
この10シーズン、何もないところから積み重ねてきて、まだまだ出来ることがいっぱいあるし、動けることがたくさんあるなって感じられるし、どんどんどんどんそのような気持ちが出てきてる状態です。
福田) はい。
中津) ある程度、どのように進んでいけば良いのか。ということに慣れてきたと同時に、"スタートでもあるな"という気持ちですね。
福田) なるほど。
僕は、中津さんがスタートした時から、ずっと見てきて、10シーズンを超えた時も見てきて、中津さんの服は、派手な服ではないですけど、一着一着がすごく向き合って出来上がってるのを感じる。
今回のものももちろんそうですし。
派手な服ではないですけど、決して地味な服でもなくて、シンプルな見た目をしてますけど、洋服を見てたら、すごく細かくて、向き合ってつくってるのを感じるんですよね。
中津) ありがとうございます。その通り、言われるように、自分の性格がそのまま出てると思います。
福田) そうですよね。山内の山内さんや、nonnotte(元AUBETT)の杉原さんもそうですけど、中津さんもそうだと思うんですけど、服を見たら、そのデザイナーの顔が出てくるって思うんですよね。
中津さんに会ったことある人って、僕らCASANOVA&COに来てもらうお客様はあまりいないですし、中津さんは顔出しもしていないから、どんな顔なんだって思ってる人いると思うけど。
中津) 笑
福田) 中津さんに会ってもらったら、服を見たらtilt The authenticsって分かると思うんですよ。リンクしてくると思う。
中津) そうですね。
それがブランドともリンクしているのですが、普段は、あんまり自分が前に出過ぎることがなく、それが自分の洋服のアプローチの仕方にも似ているんです。
例えば見えないところに、良い生地を貼ったりとか、目立たないところでも縫製を気を使ったりとか、そういうところがtilt The authenticsの特徴でもある。
そういうところを評価して下さってる方もいるので、僕が特段前に出て行く必要はないなと思っています。
福田) 今回では、生地を織って下さったのは山栄さんで、パターンは山崎さん、縫製はマーヤさん。
それぞれ皆さん、実力と技術のある方々。
その世界では、日本最高峰と言われるような方々じゃないですか。
そういう方たちが、今回の洋服は特に向き合って真剣にやってくれたもの。
ただ、まずそういう方々と関係を築くこと、このレベルで仕事をしてもらうことというのも簡単なことではないと思います。
これは、中津さんだからだと思うんですよ。
中津) はい。
福田) 中津さん、生地でいうと、そもそもなんで、ブランドとしてコレクションの生地を山栄毛織さんで織ってもらおうと思ったんですか?
もう、長いですよね。
山栄さん。
中津) 長いですね。
中津) 当初、初めてオリジナル生地をつくろうと考えたとき、ブランドの規模が小さかったので、生地を小ロットでつくらないといけないということが大前提だったんです。
福田) はい。はい。
中津) 遠州であったり、他の産地は、比較的大きいロットからじゃないとモノをつくっていけないこともあったので、そうなるとションヘル織機やレピア織機のような尾州で生地づくりをしようと決めていたんですよ。
福田) うん、うん。うん。
中津) そうなった時に、僕自身は、ウール100%とか獣毛100%などの毛織物というよりは、どちらかというと綿織物の方が得意なんです。
その中で、尾州で綿織物も織ることができるような、幅が広い機屋さんを探していたんですよ。
福田) そうだったんですね。
中津) そうなんです。
そう考えた時に、僕の中では、山栄毛織しかなかったんです。
いろんな選択肢を持てて、どんなことでもできるという機屋さん。
国内でも山栄毛織くらいしかない。と僕は思っていて、自分がつくりたいと思う生地の風合いや、動き方に、話をしてマッチしたからです。
福田) うん。うん。
中津) あとは、やはり山田さん(山栄毛織の社長)の人柄ですよね。
福田) 確かに。
中津) 会ったこともないのに、最初、すごいむさ苦しいメールを送ったんですよ。
福田) そうなんですね。初めてコンタクト取るときですね。
中津) こういうブランドのもので、こういうことがやりたくて、初めて生地をつくりたいんですけど。って。
実績も何もないし、小さいブランドですが、話を聞いてくれますか?って送ったんですよ。
福田) ほぉ。ほぉ。
中津) そしたら、すぐ返信くれたんですよ。
福田) へぇ〜。世界的にいっぱいブランドの生地を織ってるのにも関わらず。
中津) そうなんです。
だけど、ブランド規模の大小関わらず、しっかり人として向き合ってくれて、一緒に良いものをつくろうと思ってくれていることを、最初の取引から山田さんにすごく感じたので、ここでお世話になろうと決めました。
2019AWから生地をつくり始めたので、その時からずっとですね。
福田) ネイビーのジャケット。
中津) そうです。あの生地は、山栄毛織さんが得意にしてるギャバジンをtilt The authenticsっぽく、ウールとコットンで織っていくというもの。
福田) ライニングがスーパー140だったもの。
中津) そうです。スーパー140の、、、
福田) ヘリンボーンの。
中津) ヘリンボーンの。最初つくったものは、山栄毛織さんの特色が一番出るその生地と、平織りのそれまでなかったニュアンスの柄物、あと、僕が好きな異素材の合わせのウールとリネンの糸番手を変えた綾の生地。
最初は、オーソドックスなものから開発していきました。
当初は、色々つくりながら、勉強させてもらって、異素材を組み合わせて特徴を覚えていくという感じでしたね。
福田) うん。うん。うん。
中津) 最初、覚えていって、どんどん組み合わせを変えていきました。
自分の中でものにするまで大体2、3年くらいかかりましたね。
福田) ふ〜む。なるほど。そうだったんですね。
今の話と重なるところはあると思うんですけど、中津さんが思う、山栄さんの魅力ってなんなんですか??
中津) シンプルに、、、
人柄ですね。山田さんの。
福田) ほぉ〜。そっちですね。
僕も山田さんのそういうところをすごく感じました。
中津) 僕もそういうことがかなり大きくて、一緒に仕事をする人の中では、もの凄く大事にしていることで。
福田) そうですよね。一緒に長く仕事をしていくとなったら、やはりお金とか大事ですけど、どうしてもそれは今の時代だと波がでやすいですよね。
でも、人柄には、波がないと思う。
中津) そう。だから、自分が一緒にクリエイションしていく、モノづくりしていると自分が良いと思うものと、相手が良いと思うものって違う時が出てくると思うんですよ。
そこで、いや、こうしたいです。とか、こうじゃないんですよ。などと言える関係性じゃないと、より良いものにはなっていかないと思う。
結構妥協したものが出来上がってしまう場合だってあるじゃないですか。
福田) 確かにそうだと思います。
中津) それって、難しくて。仲の良い関係性でも、Noが言えない関係というのも意外とあると思うんです。
それがない方のほうが、お互いに、一緒に高め合っていけると思うんです。
そういうことを最初の段階で感じたので、山栄さんには。
福田) なるほど。
中津) あと、練度を上げていくこと。僕が言わなくてもこの人はこういう好みだろうなって読み取ってくれる関係性だったり。
反対に、僕がこう思っても難しいと言うだろうなと先に読み取ったりということは、取引していると分かるものだと思うんです。
福田) 確かに。
中津) そういうことをお互いに分かる関係性。
それは、山栄さん然り、縫製工場然り、他の方々とも。
福田) なるほど。
そういったところでは、パタンナーの山崎さんとは、いつから一緒にやってるんですか?
中津) 山崎さんは、デビューからです。デビューから全型。
tilt The authenticsのパターンは、山崎さん以外やったことがない。
福田) 全部ですか。
中津) 全部です。
福田) じゃあ、山崎さんは、tilt The authenticsの洋服を分かりに分かっていると。
中津) そうです。僕が、望むニュアンスを全部分かってくれてるんですよ。
例えば、僕が経験がないことでも、ニュアンスを伝えると、それを読み取って形にしてくれる。
福田) それはすごい。
山崎さんは、出会いはなんなんですか。
中津) 山崎さんは、僕の学生時代の同期から紹介をしてもらいました。
紹介されたのが、たまたま山崎さんで。笑
福田) 紹介してもらったパタンナーさんが、大物パタンナーさんだった。笑
すごい引きの力ですね。
中津) そう。インスタでフォロワーが1万人越えいるとか、そういうのを全く知らずに、前情報を何も知らずに、会って話をして、意気投合して、tilt The authenticsのパターンをやってくれるという形になりました。
福田) へぇ〜。そうなんですね。
中津) スタートしたばかりのブランドの人間だったので、フラットな感じで、最初から、山崎さんをそういう目線で見て取引をしたわけではないので、反対に、そのことが良かったなと思っています。
後から全部知ったんです。
福田) へぇ〜。
中津) ただ、ただ、自分と感覚が合うパタンナーさんだな。一緒にやっていて楽しいなと感じていただけだった。
だから、後から山崎さんのことを知ったので、なるほどなと納得させられました。
福田) 今回もすごいものつくってくれましたもんね。
パターンで、僕の思うニュアンスまで山崎さんは汲んで下さって、中津さんの要素もすごくある。
その上、縫製段階でマーヤさんとの連絡のやり取りもしてもらって、最後に、店頭で販売時に、展示をする服の解説までつくってくれてる。
すごいですよね。
普通のパタンナーさんの領域超えてますよね。
中津) そうですね。ある種デザイナーにすごく近いと思っています。
いつも、僕が絵型を山崎さんに出して、そこから型入れをするという手法でやってるんですね。
今回もそうで、福田さんからもらった絵型を、僕が一度、絵型に起こし直して、山崎さんに持って行って、肉付けするという方法をとっていきました。
福田) うんうん。
中津) 僕の感覚、要求している度合いというのを山崎さんは分かっているし、それこそ、CASANOVA&COのことも分かっている。
どうすれば、tilt The authenticsとCASANOVA&COをミックスできるのか、ということをすごく考えてくれていた。
福田) デザイナーですね。
中津) そう。僕が足りないとか、こうして欲しいというような要求が全くなくて。
安心して山崎さんにお願いして、僕が思うバランスに仕上げてくれるということがすごく大きいです。
福田) ふ〜む。
中津) しかも、初めて会ったパタンナーさんで、そうなるって奇跡に近いと思います。
すごく相性が良いんだと思います。
福田) へぇ〜。そうなんですね。
すごい出会いですね。中津さんは、いろんな良い出会いがあって、今そうなってるんですね。
中津) そうですね。僕の場合は、初めて出会った方とずっと一緒に今もやってるので。生産背景に関しては。
福田) 中津さん、僕もそうですよね。笑
中津) 笑。そうですね。間違いない。笑
福田) 笑
中津) だから、今の生産先の人たちも、僕が全くの無名で、数も全然つくれていなかった時から、応援してくれた方です。
そういう時の、一番しんどかった時を知ってくださってる人たちだから、尚更、今になって感謝していますし、より楽しいなと感じるようになりましたね。
(ここでマーヤの菅谷さんが合流)
それこそ、マーヤさんは、取引するまですごく時間がかかった縫製工場さんだったので、回数重ねて、今回のようなことができたのは、とても嬉しいですよね。
福田) マーヤさんとの出会いは、どうだったんでしたっけ?
パタンナーの山崎さんからの紹介なんでしたっけ?
中津・菅谷) いえ、違います。
福田) あれ、なんでしたっけ?
中津) マーヤさんは、ファッションいずみの水出さんです。
福田) あっ、そうだ。水出さんだ。
中津) 基本的にそれまでは、アウターも水出さんでお願いしていたんですけど、ブランドの規模が少しずつ大きくなってきて、つくるものの幅も広がってきて、生産できる新しい工場さんを探してる。って水出さんに相談していたんですよね。
工場を探すときは、自分でゼロから探すよりは、知っている人に話を聞いて、実際に工場に行った方が良い。と聞いていたので。
福田) ふむ。ふむ。ふむ。
中津) 信頼できる水出さんに聞いて、菅谷さんを紹介してくださって、挨拶に行って、打ち合わせを重ね、取引に至ったという感じです。
福田) なるほど。
反対に、菅谷さんから見て、tilt The authenticsってどういうブランドなんですか?
いろんなブランドの洋服を縫われてるじゃないですか?
菅谷) こんな人いたんだな。って最初の印象は思いましたね。
中津) 疑われていましたもんね。僕。
素直に、工場さんと一緒に良いものづくりをして、一緒に世の中に出ていきたいです。って伝えたら、信じてもらえなくて、疑われたというか、みんな構えてしまっていたんです。
菅谷) そのように最初だけ良いことを言ってくる人も今の時代、多くなってしまっていて。
福田) じゃあ、そういう感じで言ってくる人もいるんですか?
菅谷) 割とそのようなことを言ってくる人もいるんですよね。
工場を守りたいから。ということとか、それでお金を集めてとか。
福田) ほぉ〜。
菅谷) 工場を守りたいと言ってきても、そんな簡単なことじゃないのになと感じて、構えてしまう。
中津) 僕は、工場を守りたいというよりは、素直に"一緒に良いものをつくりたい"・"力を貸してください"というような感じで伝えたのですが、本当にちゃんとした人間なのか。と分かってもらえるように何度も通いました。
福田) 以前に聞いたのは、最初は、マーヤさんでtilt The authenticsを縫うことになったのは、かなり異例で、いろんなことがあったと聞きました。
中津) 僕が行った当初は、新規は縫製せずに、既存のブランドのものをしっかりと縫っていくという方針だった中でした。
そんな中でマーヤさんに話をしに行ったので、なかなか難しい状況でしたね。
水出さんからの紹介で、息子さんの正さんに話に行ったんです。
僕は、菅谷さんと年齢も近く、頻繁に話に行き、何度も、「お願いします」と頼んでいましたね。
それでもなかなか難しかったです。
福田) そうなんですね。
菅谷) 工場のキャパシティについては、やはり社長に決定権があるので。
そこで、中津さんの服を縫うと言っても難しかった。
だから、僕は、中津さんの服ならつくりたいと思ったので、最初は、父に黙って、東京の工場ではなく、千葉の工場で、tilt The authenticsを縫いました。
福田) えっ、じゃあ一番最初は、お父さんには、tilt The authenticsの服を縫ってないことにして、千葉の工場で縫っていたんですか?
中津・菅谷) 千葉の工場で。笑
中津) 最初は、シャツでしたよね。
福田) へぇ〜。
菅谷) ちょうど、そんな中、コロナに入って、いくつか取引先がなくなったタイミングがあったんです。
そういう時が重なって、tilt The authenticsを東京の工場でドンと、中津さんの枠をつくりましたね。
福田) そうなんですね。
じゃあ、その頃には、菅谷さんのお父さんは、千葉の工場で中津さんの服を縫っていたのは、知っていたわけですね?
菅谷) そうです。そうです。
福田) そういう巡り合わせもあるわけですね。
中津) タイミングは大きいですよね。
中津) そうして、マーヤさんで縫ってもらうことがスタートしたのですが、僕も始めてもらうまでに時間をかけるつもりでした。
何度も何度も通いました。
福田) やっぱり、一緒に仕事をしてもらうようになるまでには、何度も通うものなんですね。
中津) 僕の場合は、そうでした。
マーヤさんだけではなく、ファッションいずみの水出さんのところにも1年間通っていましたし、何度も話をさせてもらいに行きました。
福田) そうだったんですね。
中津) 工場さんの状況もあるし、何度も通って自分のことを知ってもらうために通いました。
そこで、ファッションいずみさんでは、タイミングがあり、じゃあ、一型のシャツだけ縫ってみようか。ということからスタートしましたね。
ちょっとずつ積み重ねて、今に至ります。
福田) そうですか。
中津) 最初から、こういう人間だから、これで、こういうことをやってください。というようなやり方ではなく、まずは、自分のことを知ってもらい、納得して仕事を受けてもらわないと長く取引って続かないと思います。
特に、モノづくりとなると、日々コミュニケーションが必要になってくるので。
福田) うん。
中津) ファッションいずみさんとマーヤさんは、自分が通い詰めて取引を始めさせてもらった工場さんです。
だから、すごく僕の中では大きいです。
福田) うん。うん。なるほど。
菅谷さんはどうですか?中津さんの服を縫って。
菅谷) 中津さんきっかけで変わりましたね。
それまでは、大きい規模のレディースがメインでした。
僕も、tilt The authenticsをどのように仕事を引き受けて良いのか分からなかったので、水出さんに聞きながら、走り出しました。
今では、規模の大きいレディースだけではなく、中津さんのようなブランドの仕事も引き受けています。
福田) では、やはり、マーヤさんへのその扉を開けたのは中津さん?
菅谷) そうですね。
中津さんきっかけで、引き受ける仕事も少し変わりました。
中津) 意外なのですが、レディースの高級プレタポルテを縫製する工場さんは、初めてメンズを縫うことがあって、どうやって縫ったら良いのか分からない。と言われることが多くあるんです。
福田) へぇ〜。
菅谷) 辻さん(辻洋装店さんのこと)も言ってましたよね。
中津) そう。辻さんからも言われたんです。
ただ、僕からしたら、高級プレタの難しい素材を、難しい仕様で縫えてる時点で、僕の仕様だと問題ないですよ。と伝えて、仕様書を持って行っても、自分たちが懸念してる、更に上を懸念して、細かく取り組んで下さる。
福田) そうなんですね。
中津) 僕のものづくりにすごくあってるんですよね。
僕は、すごく心配性で、同じことを何度も何度も自分で確認するんです。
だから、とても細かく取り組んでくださる工場さんたちなので、すごく信頼させてもらっています。
福田) とても細かいわけですね。
中津) すごく細かいです。
福田) 中津さんは、デビューシーズンから、シーズンを重ねる度に、洋服の品質が格段に上がった時期が何度かあったと思うんです。
それは、水出さんのところで縫い始めたりした時ですよね?
中津) そうですね。福田さんがそう言ってくれてたことを覚えています。
福田) 中津さんの服が格段にクオリティが上がり始めたタイミングがあったことをとても覚えています。
それが、山栄毛織さんや、ファッションいずみさん、そして、マーヤさんと服づくりをスタートした時だったんですね。
中津) そうですね。特に、今回の洋服は、僕が一緒にやってきた方々とのこれまでの集大成が詰め込まれています。
福田) だから、皆様にしっかりと見てもらいたいですね。
福田) では最後に、中津さんがこれからやっていきたいこと、目指していきたいことを聞かせてください。
中津) そうですね。これは、外向きにこういうブランドでありたいとか、こういう洋服をつくっていきたいということは、もちろんあるんですけど、、、
一番は、内向きなのですが、自分が好きな人たちと、一日でも長く、ものづくりを続けていきたいです。
福田) ほぉ〜、なるほど。
中津) シンプルですが。外に目を向けても、時代がとても早くて状況が変わっていく。
だから、一番は変わらないことで、自分が関わっている職人たちと、真剣な洋服づくりを続けていきたいです。
ちょっと、ブランドのデザイナーっぽくない返答かもしれませんが。
福田) うん。うん。
中津) どちらかというと自分も職人気質なので、職人たちと素晴らしい洋服づくりと続けていきたい。
よく勘違いされるのが、工場のためだとか、工場に優しいブランドだとかって、言われるのですが、そうではないんです。
僕が、工場の人たちが好きだから、僕の人間関係が工場の人たちと繋がってるから。
工場を救いたいとか、守りたいとか、そういうことを主としてやっているのではなくて、ただただ、その人たちが好きで一緒に一生懸命やっているんです。
福田) うん。うん。
中津) 生地が良いブランドだとか、縫製が良いブランドだと言われることもあるのですが、自分が伝えたいのは、そういうことではないんです。
僕は、本当に"人"を伝えたいです。
今一緒になってやっている人たちは、日本一だと思うので、今の人たち以外は考えられないくらいです。
だから、ブランドが始まって6年経って、そういう職人たちと出会えたので、僕は、その人たちとこれからもやっていきたいな。と素直に思っています。
福田) 中津さんのとても素直で人間味がある言葉ですね。
そう言う中津さんの洋服を僕も見ていきたいですし、今回のものも見てもらいたいですし、これからもみんなで一緒にやっていきたいですね。
中津) 本当にそうですね。
---------------------------
インタビューは以上です。
お知らせしていたように、15日(土)〜17日(月)までは岡山で、22日(土)〜24日(月)は東京で、中津さんにも在店頂きます。
皆様に今回の洋服をご覧頂けることを楽しみにしています。
まずは、岡山のCASANOVA&COで皆様のご来店をお待ちしています。