一年前の4月のこと。
僕は、初めて"山栄毛織(やまえいけおり)"さんを訪れた。
ちょうど、出張で東京に出ていたため、今回、一緒に向かうブランドのデザイナーと東京駅で待ち合わせた。
二人仲良く並んで新幹線で名古屋まで向かった。
もちろん、普通席で。笑
今ほどではなかったですが、人が多く、指定席。
名古屋に到着。
そこから、更に、山栄毛織さんが位置する最寄り駅まで電車で向かう。
新幹線から乗り換え、到着したのは、近鉄蟹江駅。
ここで、山栄毛織の山田さんと待ち合わせる。
山栄毛織の山田さんが車で迎えに来てくれ、車で向かう。
僕も以前に別件で会ったことがあったし、道中いろいろと話をしながら、向かった。
駅から離れると、少しずつ、徐々にローカルな街並みになってくる。
山栄毛織さんが位置するのは、津島市という場所で、毛織物の産地"尾州(びしゅう)"の中でも、最南端に位置するそうだ。
一宮市や津島市、羽島市、名古屋市などの一帯が、尾州産地と言われる。
特に山栄毛織さんが位置する津島市は、織物の歴史的には古く、江戸時代には、桑畑が広がり、絹織物の産地として知られていたそう。
そこから、綿織物が盛んになっていったそうで、1870年頃の明治初期には、日本でも綿織物の大きな産地だった。
ただ、1890年になると大地震や、安価なものの流入、大企業による大量生産によって綿織物の産地としては衰退したそう。
今から100年以上前のことであっても、人間の商売的な考え方って変わらないものですね。
安価なものや、大量生産によって、産業の流れは大きく変わる。
ただ、それでも1900年頃になると、大きな大きな転機が訪れた。
それが、"尾州毛織物の父"と言われる、片岡春吉。
この片岡春吉こそが、尾州を"世界三大毛織物産地"と発展させるきっかけをつくった人物だそうだ。
1898年に片岡毛織工場を創業し、とにかく研究に没頭した人物だったとのこと。
当時は、手織り機をメインに使っていたそうだが、日本と比較しても大きな歴史があるヨーロッパからの"輸入品"の毛織物に負けないものをつくりたい。という気持ちを胸に、寝食の間も惜しんで研究と開発に没頭したそうです。
その結果、手織り機だけではなく、片岡式織機をつくり上げ、染色や加工についても創意工夫を繰り返し、その研究の成果を独占することもなかったそう。
尋ねてくる人には、その技術を全て教え、そのようなおかげもあり、毛織物産業地帯として、この一帯は発展したそうです。
どのような時代もそのように突き進んだ人がいるからこそ、残るものがあるんですね。
車のトヨタも、もとは豊田自動織機という毛織物の会社だったというのは、よく知られた話ではあると思う。
そのような歴史的な話も聞いてる内に、遂に到着。
"山栄毛織株式会社"。
1915年に創業。
現在で、108年になるのかな、産地の中でもかなりの"老舗機屋"さんだ。
100年を超える企業というのは、本当にすごいことだ。
いろんな時代の波も当然のように何度もあっただろうが、残り続けるのには、理由がある。
そのような日本でも数少ない老舗の"超名門"機屋さんだ。
この時、セレクトショップの人間で山栄毛織さんに行ったのは、僕が初めてだったみたい。笑
光栄なことだ。
山栄毛織さんに到着後、まずは案内されて応接室へと向かう。
椅子に座って、話をしたり、いろいろ聞いた。
その場所は、世界中のブランドのデザイナーたちが訪れたところでもある。
2000年頃には、尾州としては初めて、誰もが知るビッグメゾンのブランドが訪れた。
それからというもの、あそこも、ここも、そこも、ここも。みたいな感じで、メゾンがたっっくさん来てるんだって。
今でもそのようなブランドの数々の生地を織り続けてる。
そう。
僕が座って話をしていた椅子も、たくさんの大物が座ってきた椅子だった。
でも、山田さんが言うには、そのようなメゾンのおかげで鍛えられた部分もあるそうです。
最初は、ウールや獣毛ばかりを織っていたそうですが、最初のメゾンとの仕事が"コットン"だったそう。
それからというもの、次々に、コットンやリネンなどの天然繊維の植物繊維の生地を海外からオーダーされるようになり、ウール以外の天然繊維がもの凄いレベルで織ることができるようになったそうです。
まあ、そういうビックメゾンも、毛織物の機屋になんでコットンを頼むのか。って話ですけどね。
しかしながら、その理由は、明確。
毛織物って、見たことある人いると思いますが、"耳ネーム"って入るじゃないですか。
スーツ生地とかの、生地端に入ってる文字ですね。
その"耳ネーム"は、毛織物ならでは。
そして、山栄毛織さんの耳ネームは、とても綺麗だった。
生地そのものの出来と、ブランドネームを入れるための"耳ネーム"。
そのレベルの高さに、世界が驚き、絶賛し、ウール以外の天然繊維をも山栄毛織さんでオーダーしてるってわけですよ。
とても古い昔の生地見本の資料も見せてもらった。
まあ、今年で創業が108年とか、人の人生ではなかなか考えづらい程の時間。
それだけ続いている山栄毛織さん。
今の社長である山田さんは、4代目だそうです。
あと、山田さんが言っていたのは、1950〜1960年頃にやっていたことが、今も礎になってるそうです。
それが、"ブラックフォーマル"。
山栄毛織さんとあと二社の協業で、世界で初めての"ブラックフォーマル"をつくり上げたそうです。
どういうことなのかというと、そもそも、礼服という文化は、日本だけですね。
現在、みんなが礼服として認知してる"黒い正装"は、あれ日本特有の文化みたいですよ。
海外では、ただの黒いスーツとして認知されてるだけみたい。
ただ、そのような日本特有のそのような"ブラックフォーマル"をつくり上げたのは、山栄毛織さんがその重要な役割を握ってるそうです。
山栄毛織さんが、無地の美しい生地を織り上げ、もう一社がそれを黒く染め上げる。
そして、最後のもう一社が、服にする。
当時は、"濃染"という、"黒く染める"技術がなかったそうです。
日本でも、それまでは、フォーマルなシーンでは、着物?かな。そういう黒い袴みたいなものを正装としていたそうです。
どんどん、欧米文化が入ってくるその時代に、"ブラックフォーマル"をつくり上げた。
それが、今の山栄毛織さんの礎になっているのは、どういうことなのか。
ブラックフォーマルというものは、"濃い黒"であり、その分、ベースが"綺麗な生地"を織り上げる必要があった。
だから、「いかに、"白く"・"綺麗な"、白無地の生地をつくるのか」ということを追求していたそうです。
きちんと、生地の目が整い、それでいて、高密度、生地そのものの膨らみがあり、シワになりづらい。
そのような無地の生地をつくることを追求していた。
山栄毛織の山田さんが言うには、ウールでいうと、"SUPER〇〇"とか、"〇〇ミクロン"などと繊維のことが言われるが、織物は本当は、そうじゃない。
まあ、僕もよくそうやって言うことありますけどね。笑
その世界の専門家は、言うことが違うのよ。全然。
例えば、同じように、60番手双糸とかあっても、いろんなランクがあるし、繊維のミクロ数だけ見ても、糸になった時は、糸そのものが全然綺麗なものではないことだって普通にあるそうです。
大事なのは、"糸の選定"・"糸の密度の設定"・"糸と織機との相性"だそう。
ヤバい。
超絶専門的だ。
日本には、やはり世界から選ばれるすごい方々がいるものだ。
そういう山栄毛織さんを知ってくれ。
機場に入ると、経糸を整えるための設備が並ぶ。
整経(せいけい)だ。
これが、山栄毛織さんの使う、織機。
とても特徴的。
それが、、、、
"両口開口低速レピア織機"というもの。
山栄毛織さんでは、この"両口開口低速レピア織機"が18台、そして、ションヘル織機が1台、合わせて19台の織機を有するそうです。
ただ、この"両口開口低速レピア織機"が山栄毛織さんならでは。
とても珍しい織機だそうです。
通常、毛織物であれば、"ションヘル織機"が最もスローな織機と言われてる。
まあ、単純に動きが遅ければ良いっていうわけではなくて、その分糸の風合いが出ることはあるんだけど、一概にそれが一番というわけではないそうです。
山栄毛織の山田さんが言われるのは、何を目指すかということ。と言ってた。
ただ、この"両口開口低速レピア織機"。
もの凄く、、、、
遅いのだ。
僕が今まで見たことのある織機の中で、ダントツで一番遅かった。
山田さんは、ションヘルとほぼ一緒ですよ。みたいに言うけど、そんなことはない。
僕が見たことのあるションヘル織機よりも遅かったのだ。
これだから、このレベルの生地の風合いが生まれるのだな。と確信しました。
まあ、その"両口開口低速レピア織機"と言うものが、どういうものなのかと言うと、、、、
まず、これ。
写真じゃ分からないと思うけど、レピア織機には"杼(シャトル)"が存在しない。
無杼織機(むひしょっき)と言われる。
通常のションヘル織機には、杼(シャトル)が存在し、セットされた経糸が上下動する間を、緯糸が取り付けられた杼が横断する。
片側から、行って帰って、行って帰って、何度も何度も往復して。という感じ。
しかしながら、レピア織機は、、、
杼の代わりに、"レピア"が、両側から発射され、その片側には、緯糸がセットされ、生地のちょうど真ん中の位置で、反対側から来たレピアにその緯糸を受け渡す。
ということを繰り返す。
わかりにくいでしょ?
でもそうなの。
インスタグラムの方には、稼働してるレピア織機の動画を掲載するから、そちらをご覧ください。笑
そして、次に、
"両口開口"ということ。
この言葉は、何を指してるのかというと、経糸のこと。
経糸は、"綜絖(そうこう)"というものに、一本ずつセットされます。
このセットをすることが、通称「経通し(へどおし)」・「綜絖通し(そうこうどおし)」と言います。
この「経通し」や「綜絖通し」については、カネタさんや葛利毛織さんで生地をつくってもらった時に、紹介したので、過去のブログを見てもらえたらOKです。
生地を織るためには、経糸と緯糸が組み合わされないといけないわけじゃないですか。
だから、織機にセットされた経糸が"上下動"し、その間を"緯糸"が通って、織り上げられるの。
その、「経糸を上下動」させるのが、"綜絖"なのだ。
だから、新たに織り上げる織物には、必ず「経通し」という途轍もない工程が存在する。
話を戻して、"両口開口"というのは、この上下動が、
"両方"に"口が開く"ということ。
それは、生地が完成した時には、とても恩恵があるのだ。
大体、一般的には、"片口開口"のものが中心。
それに加えて、"低速"ということも山栄毛織さんでは、欠かせない。
この"両口開口"・"低速"というのは、もの凄く重要なことであるのだ。
更に、話を掘り下げると、、、
上下動した"経糸"の間を"緯糸"が打ち込まれていく。
その際に、"筬(おさ)"というもので、打ち込まれた緯糸が、"奥に押し込まれる"。
この"筬"が、経糸の間を通った"緯糸を押さえて"、設計された位置まで"緯糸を押し込む"ことで、密度が高まる。
ここで、重要になってくるのが、先程の"織機のスピード"だ。
高速織機の場合、"押し込まれた緯糸"が、元の形状の膨らみになる前に、次の緯糸が押し込まれて、どんどんペタッと潰れたような状態で、緯糸がセットされ続けることになる。
例えるならば、プロ野球のバッターが打つ"ボールのスローモーション"のような感じ。
硬いボールも、スローで見るとグニャッと潰れてるじゃないですか。
緯糸の一本一本が、そんな感じに潰れるイメージです。
それくらい高速織機は、目にも留まらぬスピードで織り上げられる。
まさに、"マッハの世界"と言えるほど、チョー早い。
しかし、山栄毛織さんの"低速レピア織機"の場合は、緯糸が筬で押さえられてから、次の緯糸が打ち込まれるまで、"時間が長い"。
つまり、グニャッと潰れた緯糸の一本が、充分に元の膨らみに戻るまでの"時間"が与えられるのだ。
だから、糸、一本一本の膨らみがすごいの。
それでいて、"両口開口"。
以上のことを頭に入れた状態で、これを見て。
見てもらえると分かるように、
青い線が経糸。
赤い丸で緯糸。を表しています。
上が、通常の"片口開口高速織機"を表したもの。
下が、山栄毛織さんの"両口開口低速レピア織機"を表したものです。
この図を見てもらえると分かる通り、経糸の上下動は、
"片口開口"は、上側にだけ。
"両口開口"は、上下に同時に開くことが分かると思います。
そのため、打ち込まれた緯糸が、"奥に奥に"行きやすいのが分かると思う。
それでいて、低速だから、"筬"で押さえ込まれた緯糸が、"丸く膨らむ"時間が与えられる。
"片口開口"でありながら、"高速織機"となると、上側の片方にしか、経糸が開かないから、緯糸が押さえ込まれるスペースが小さく、奥まで入り込めない。
その上、"筬"で押さえ込まれた状態で、糸としての膨らみを取り戻す前に、次の緯糸が打ち込まれ、本来の糸としてのポテンシャルが発揮されない。
この"片口開口高速織機"というのが、世の中のほとんど多くを占めてるんじゃないかな。
短時間でたくさんの生地を織り上げるために。
だから、世の中には、ペラッペラの何も感じられない、軽薄の生地が溢れ返ってるのだと思う。
もちろん、品質を追求しない場合には、その方が、圧倒的に短時間でたくさんの量の生地を完成させることができる。
だから、品質を最も重要視するのか、生産性を最も重要視するのか、ということは、機屋さんとしての分かれ道だと思う。
世界中のほとんどが生産性を重視している。
まあ、その方が、利益が上がりやすいから。当然だ。
ただ、僕としては、やはりそうではない機屋さんの生地に魅力を感じる。
どこでも同じものができるわけではないんですよ。
これが、山栄毛織さんの最大の特徴です。
だからこそ、世界中からたくさんのデザイナーが山栄毛織さんに集まるの。
もちろん、生地のプライスは高いですけどね。
その分、すごく良いクオリティの生地が出来上がる。
あとね、山栄毛織さんの生地は、"生機(きばた)"と言って、織り上げたそのままの状態でも、もう完成してるの。
フツーは、生機の状態だと、どれだけ高級な原料であっても、硬くてガサガサして、全然ダメ。
だから、"整理工場"っていう、生機を仕上げる、仕上げ屋さんがフィニッシュを行う。
そこで、いろんな加工を施すの。
加工には、もの凄い種類があって、安価なものでも、それなりに見えてしまうのは、加工がすんごいから。
安い服でも、新品の状態で、見た目とか着心地がそれなりに安定してるのは、加工で誤魔化してるからなんですよ。
そういう服って、一回洗濯したり、年月を過ごすと、残念に感じる理由は、表面だけ良くしてた加工が取れてしまった証拠。
でも、山栄毛織さんのつくり出す生地は、先述の通り、糸の選定、適正な密度の設計、織機との相性をとにかく考え込まれ、最も素材が活きる設定で、"両口開口低速レピア織機"で織り上げられる。
だから、僕も今回の生地が織り上がった段階で、すぐに生機を山田さんに見せてもらったんだけど、生機で"完成"してましたね。完全に。
それは、山栄毛織さんは、整理工場の方にも「もう出来上がってますね」って言われるそうです。
そういう、山栄毛織さんの生地は、服となった新品の状態ではもちろん、繊維そのもの、糸そのものの品質が最大限に発揮され、時間が経つほどに、驚くようなクオリティを感じられるから。
あとは、それだけじゃなくて、山栄毛織の山田さんが、何よりもとても優しい方。
その上、すごくクリエイティブなの。
僕も初めて会った時には、"織物には無限の可能性がある"って教えてくれたし、もともと、CASANOVA&COという存在も知っててくれた。
もう、むちゃくちゃ丁寧で優しくて、いろんなデザイナーみんなから聞いてたけど、人柄の良さが現れまくってる方なんですよ。
だから、今回、山栄毛織さんに、あるブランドとの共同で生地をつくってもらいたいって思ったの。
これを通して、山栄毛織さんのつくる生地のクオリティをご体感ください。
続く。。。