1912年。 大正元年。 今から、110年という、ひと一人の時間では不可能だと言える時間。
日本で現存する毛織物の機屋さんでは、最も歴史ある機屋さんで、僕も毛織物で大好きな機屋さん。
葛利毛織工業 株式会社。
その葛利毛織さんに、今回の生地を織ってもらった。
もう、それは、果てしなく圧倒的で超絶凄まじいものが出来上がった。
国産最高級ウーステッド(梳毛)という看板を持つ機屋さんだ。
2021年になったばかりの冬のある日。
とある、デザイナーと名古屋駅で待ち合わせた。
これまでだったら、岡山から東京へと通り過ぎることが多かった名古屋。
それが今では、頻繁に降りるようになった。
そのデザイナーと合流し、名古屋駅から、葛利毛織さんまで車で向かう。
名古屋駅はとても栄えているように思うが、そこから車を30分ほど走らせると徐々にローカルな雰囲気が漂ってくる。
良い感じ。
愛知県一宮市。
ここに葛利毛織さんは位置する。
最寄駅の玉ノ井駅。
ここは、電車の終着駅だそう。
車で走っていたからむちゃくちゃにブレてるけど。
ここ。
葛利毛織工業 株式会社。
とても趣ある建物が立ち並ぶ。
この場で、日本が世界に誇る梳毛生地がつくられている。
とても歴史を感じる建物で、写真にはないけど、ノコギリ屋根の建物が並ぶ葛利毛織さんの建造物そのものも歴史的に評価をされているそうだ。
日本の重要有形文化財に指定されてるくらいだから。
そして、この中央に写る扉。
ここが機場の入り口。
静岡県のカネタ織物さんに行った時は、扉の向こう側から一気に環境が変わったけど、葛利毛織さんでも、湿度や音。
その扉の向こうから大きく変わる。
扉を入ると、まずはこのような可愛い動物たちが出迎えてくれる。
これは、それぞれの動物がどのような毛質をしているのか触って分かるように用意されているもの。
葛利毛織さんは定期的に一般の方?に開放して、工場見学も実施してるみたいです。
だから、このように触ってすぐに動物繊維の違いが分かるようにしてるそうです。
めちゃ可愛いし、柔らかいもの、しっかりしたもの、それぞれの毛質の特徴がすぐに分かる。
これ、家に欲しい。
そして、このように生地の設計図なども用意され、どのように生地をつくりあげていくのか分かりやすくされています。
これが生地の組織図。
オセロみたいな白と黒で塗り分け、経糸と緯糸の表への出方を表したもの。
全ての生地は、この組織図で明確に設計されるんですよ。
そして、これ。
こういうものが葛利毛織さんにはたくさん存在する。
天皇や上皇の着るスーツ地をもつくるのが葛利毛織さんだ。
僕が行った時にも、日本の国からの依頼で織っている生地もあった。
それくらい由緒正しき、歴史ある機屋さん。
そして、更に中に入るとそこが機場。
葛利毛織さんは、毛織物の中で、最もアナログで、最も手織り機に近い、90年程前の古い機織り機、"ションヘル織機"を修理しながら稼働させ、使い続けている。
ドイツで開発されたションヘル織機は、その名前だけ目にする人もいるかもしれないが、今からすごく昔に普及した機織り機。
そのションヘルという名前の由来は、その名の通り、ドイツのションヘル社が開発したものだからだそう。
葛利さんが使い続けるションヘル織機は、ドイツから伝来し、製造された国産ションヘル織機だそうです。
ただ、今では、ジェットや水圧などで緯糸を飛ばして織り上げる"高速織機"が普及しているため、とっくの昔に製造中止になってしまい、"かつての名機"と言われるようになってしまったのがションヘル織機。
それは、やはり生産性の違いから。
生地というのは、並べてセットした経糸に対して、一本の緯糸を飛ばして打ち込んでいくことを繰り返す。
葛利さんのションヘル織機が"1分間で90回"の緯糸を打ち込む設定にしているそう。
早くても。
それを一時間の稼働に換算すると、大体1mだそうです。
"一時間に1m"という生地の生産量。
織機そのものの"音"の問題もあり、一日に8時間から10時間の稼働にしているそうなので、一日で考えると"8m~10m"ですね。
だから、例えば、50mの生地で生産をお願いをすると、それを織り上げるのには、50時間かかるということです。
対して、、、 高速織機は、緯糸は"1分間に1500回"という動きだそうです。 葛利毛織さんが使う、ションヘル織機の約15倍ですからね。
時間のかかり方が全然違う。
世の中に流通している、ウールやコットンに限らず、ほとんどの生地が高速織機でつくられていますが、やはり生地の"質"や"風合い"は格段に違うの。
高速でつくると生産量は、増える。
ただ、時間をかけて織り上げると、素材の力がとても引き出されるというワケですよ。
生産性をとるか、生地の品質をとるか。
しかしながら、もちろん、その分、"価格"も変わる。
その価格は、服となった時の販売価格にも大きく影響するから、そうなれば、ほとんど大多数が生産性をとることになる。
機屋さんの売上にも直結するわけだから。
葛利毛織さんは、時代の流れとともに、多くの機屋さんがコストダウンに邁進していく中、昔から変わらず、今でも"繊維の質を最大限に活かせる"という理由で、ションヘル織機を使い続けている機屋さん。
そして、葛利毛織さんは、毛織物を生産していますが、そのほとんどがスーツ市場に流通している。
だから、当店が日頃取り扱いをするファッションブランドでは、ほとんど使われることがないの。
当店でも、取り扱いをしているブランドでは、コレクション内で葛利さんの生地を使用しているのは、山内とAraki Yuu、あとHERILLくらいだったんじゃないかなと思います。
多分。
"ファッション"というジャンルよりも、スーツの方がその歴史は比較にならないほど長いですからね。
葛利毛織さんでは、創業から今まで、"親子三代"に渡って着続けることができる洋服の生地をつくることをずっと大事に考え続けてるそうです。
そのことが日本の国に認められ、天皇陛下のスーツはもちろん、国内海外問わず、テーラーさんから日本の最高級の梳毛生地として、評価を受けているということ。
ただ、 それは僕らが存在する"ファッション"の領域では、あまり知られていないことだと思う。
洋服というものは、 "テーラー(スーツ)" と "ファッション" この2つに大別できるけど、未だに、というか年々、軽薄な存在に捉えられてしまっているのが、"ファッション"の領域だと思う。
僕は、そういう"ファッション"の力は、計り知れないほど大きいものだと思っているし、人生が良い方向に変わるようなことだって起こり得る存在のものだと信じてる。
自分がそうだったから。
だから、今回、葛利毛織さんに、僕の理想とする生地を製織してもらうことは、とても大事なことだったんですよ。
そういう葛利毛織さんの内部を紹介しますね。
葛利毛織さんの葛谷さんが言うには、ションヘルでの製織というのは、手織りと同じで、とてもアナログなもので、すごく単純構造というのを言っていた。
それは、綿織物で同じ立ち位置にある、"シャトル織機"を操る、カネタ織物の太田さんも言ってた。
ただ、構造はシンプルだけど、現在は生産がされてない上、稼働させ続けるゆえに、故障も起こる。
90年も前のものだから。
でも、新品の部品は存在しない。
そして、古いものだから、何か起こるとその調整が大変。
だから、生産効率も高くない上に、とても手がかかるもの。
だけど、それで出来上がったものには、僕は"心を動かされる"ものがあると、とても思ってる。
まずは、これ。
生地というのは、"織る"という工程もそうだけど、それ以前に驚く程の時間がかかる。
機屋さんで最も時間がかかるのが、"経糸を準備"すること。
これは、撚りや染色がされた糸を、 経糸として"準備するために、準備するため" の糸の束から再度、巻き直しをする工程だそうです。
黄色い筒に巻かれた糸が、生地一反あたりに使用する経糸のメーター数で、手前の緑の筒に巻き直しをする"メーター繰り"というもの。
僕らからはなかなか想像もできない、とても細かい微調整が繰り返されるのが、こういったレベルの織物の世界です。
糸の色は違うけど、メーター繰りがされた経糸が夥しい数並ぶ場所。
これが、"整経(せいけい)"と言われるもの。
整経台に一つずつ設置された、この糸の束一つ一つから、糸が繰り出され、
このように"ビーム"というもの、一つに集約される。
数百本になるほどの数の糸を、素材によって最適な張りを調整し、"経糸の必要本数分"並べていく工程です。
整経台に設置された糸の束。
これは、一本の糸がグルグル巻き取られたものじゃないですか。
その束は、数百本がMAX。
ただ、経糸というのは、葛利毛織さんでは、平均で6000本前後、高密なもので8000本~10000本前後という物凄い本数で構成される。
だから、このビームという工程も何十回と繰り返されるの。
このように常に、張りが最適になっているか、均等にできているかを人の目と感覚で確認しながら行います。
ビームに巻き取られた経糸。
写真にある結び目の数が、この工程の回数の数。
超夥しい数の経糸が全て均等に巻き取られてる。
この巻き取られた糸の均整はハンパない。
ただね、、 まだこの時点では、経糸は織機にセッティングすらされてないのよ。
そして、次の工程へ、、、
これだ。
カネタ織物さんでは、"経通し(へどおし)"と言ったが、別名"綜絖通し(そうこうどおし)"。
"綜絖"というのは、織機にセットされた経糸が交互に上下動させるためのもの。
その経糸の、"上下動の隙間"に緯糸が通る。
経糸の上下動の開口を"組織図"通りになるように行うのが"綜絖"の重要な役割でもある。
そこに、、、一本一本、経糸を通していく工程だ。
綜絖通し用の棒を使いながら、先ほどのビームに巻き取られた糸を一本ずつ引っ張って、綜絖に通していく。
その数が経糸本数分、つまり先述の通り、多いもので10000本越えになるという途轍もない作業。
これは機械化が難しく、どうしても人の手で行っていく超、超、超アナログな工程です。
カネタ織物さんでは、80代の女性がされているとのことだったが、僕が行った時には、葛利毛織さんでは若い女性の方がされていた。
とても優しく親切に教えてくれた。良い人だった。笑
そして、そのまま道具を持ち替えて、今度は"筬通し(おさどおし)"。
"筬"というのは、織物の幅と経糸の密度を整えること、上下動した経糸の間に挿入された緯糸を打ち込むという道具。
綜絖通しをした経糸をそのまま筬に通していく。
"綜絖通し"もとても小さい穴に糸を通していくんだけど、この"筬通し"の筬の間隔も0.8ミリ~数ミリという超絶細かい隙間。
この"綜絖通しと筬通し"で、何日も、何日も時間がかかってしまうという工程です。
一日中椅子に座った状態で、細かい作業をひたすらに続けるという、集中力と途轍もない根気を必要とする。
そして、これを僕もやってみた。
というか、正しくはやらせて頂いた。
もうね、ちょっとだけだったけど、これを一つの生地で何千本もやるなんて、エゲツない程、大変なことが身に染みた。
ちょっとしか通してないのに。
生地は、こういう仕事で支えられている。
ということをとても実感しましたね。
これが綜絖通しをする際の、目の前の景色。
向こう側から決められた本数の経糸が並び、それを夥しい数の綜絖の小さな穴に通していく。
想像してみて。
これは新しい生地を織る時に、それが前回織機にセットしたものと同じ規格ではない限り、必ず行わなければならない工程。
そして、ようやく緯糸の準備工程へ。
ここまで経糸のみの準備工程でしたが、糸が葛利毛織さんに到着してから、これまでの工程で、約一週間費やすとのこと。
それだけ経糸をセッティングすることは時間がかかる。
上の機械は、茶色い管に緯糸を巻くためのもの。
動かして見せてもらったけど、クルクル巻かれていってた。
そして、緯糸がクルクルと巻かれた管をセットするのが、この、、、 シャトル(杼)。
木製のシャトルの中に緯糸を入れ、それがハンマーのようなもので叩かれて、経糸の間を通り抜けていく。
その様子は、僕の携帯の動画で撮ってるので、後日インスタグラムの方に掲載しますね。
これがションヘル織機。
90年も前のものを現在も使い続ける葛利毛織さん。
12台あるションヘル織機。
写真の織機は、既に動いているんですが、まず稼働を開始させる時は、水色と緑色のテープで巻かれた棒を左右にリズミカルに規則正しく動かし、スタートさせる。
この始動も体験させてもらったけど、織機が大クセ。笑
ちょっとタイミングがズレると全然動かないし、シャトルが筬に巻き込まれてしまうケースもあるみたい。
僕は、以前に古いミシン(ユニオンスペシャル)で、巻き縫いの練習をず~っとしてたことがあったのですが、それも一台一台がむちゃくちゃなクセがあった。
やはり少しそれに似てるなって感じましたね。
現代のものとは、全然勝手が違うの。
織機はそれぞれ、その時に稼働させているものを機場の職人さんが見て回る。
葛利さんでは、高齢の方だけではなく、20代、30代の若い職人さんもいた。
皆さん、葛利毛織さんで生地をつくるということに、とても情熱を持っている方々ばかり。
僕が、行った時にも、葛利毛織さんの葛谷さんと打ち合わせをする時に、セレクトショップの人間がどんなことを考えているのか、どんなことをしたいのか知りたい。
ということで、佐藤さんという方と、上村さんという方の二人が同席された。
葛谷さんが言うには、とてもアナログなものだそうだけど、まあ、僕には、この構造が全くの理解不能でしたね。
一見しただけでは、超難解の、複雑構造。
写真のようなパーツがそれぞれに動いて、ハウルの動く城みたいな感じだった。
城が歩く時のあの感じ。笑
そして、この白い糸は、"織りネーム"。
毛織物特有のものですね。
見たことある方はいると思うけど、ウール系の生地の生地ミミに文字が書いてあったりするじゃないですか。
あれですね。
あの箇所は、ションヘル織機とは別で、ドビー織機だったかな?の構造で、織り上げられていく。
これ。
シャトル織機の上に設置されたこれ。
ここに文字を織り込むのが設計されてるの。
茶色い穴が空いた紙が見えるじゃないですか。
それに、織り込む文字の設計がされているそうです。
この文字の箇所ですね。
そして、ここ。
機場の一角。
これはションヘル織機を調整、生地の設計に必ず必要なパーツを組み上げるものたち。
ありとあらゆる道具が並ぶ。
その一つがこういうもの。
これは緯糸を打ち込むのに必要なもの。
カードという部分で、丸いコマとストロー状のパーツを組み合わせて繋げたもの。
これでシャトルの動きを設計し、柄や組織を決定づけるそうです。
こういうこと。
マジで、分かんない世界。笑
今では、織機もミシンも電子制御され、ボタン一つで動きを決められるものが主流な中で、全てが全然違う。
ただ、これだから手もかかるし、時間もかかるけど、葛利毛織さんだけにしか生み出せない生地というものが存在するんですよ。
そのことが、"ファッション"よりも歴史の長い"スーツの世界"では、とても評価されているし、それが"日本"からも評価されてる。
スーツは、16世紀頃からと言われてるけど、日本のファッションの歴史なんて、80年代に始まったヨウジヤマモトとコムデギャルソンからじゃないですか。
もうね、全然歴史が違う。
ただ、僕はファッションの世界に身を置いて、それをお伝えする"小売店"という立場として、日頃当店を見て頂けるお客様方には、葛利毛織さんの生地は、知ってもらいたいと思ってる。
葛利毛織さんにしかない絶対的なものが確実に存在するし、その生地を通して感じられることがあるの。
そして、それを着ることによって、それでしか体験できないことがあるんですよ。
僕は、そうやって思ってるんですが、葛利毛織さんの葛谷さんは、決してそんなように自分たちでつくりあげたものを表立って言うことはないんですよ。
"自分たちは昔から変わらないものづくりを続けてきた" ということをすごく言われる。
葛利毛織さんが創業されて、公式には今で110年。
国の定めによると110年だそうですが、非公式だと150年?になるそうです。
それだけ長い間、続けてこられたことは、"創業時から変わらない"生地の規格を守り続けてきたことだ。と言ってる。
ただ、それはすごいことで、創業から現在までで、社会のいろんな流れがあったそうです。
バブルの時代に、広大な土地を利用して不動産業に走る機屋さん。
大量生産の波により、生地の規格を安価な大量生産型に舵を切る機屋さん。
いろんな機屋さんがあったそうです。
それは、機屋さんに限らず日本は先進国だから、社会の激動の時代だったと思う。
それでも葛利毛織さんは、創業からの教えを大切に守り続けてきた。
当たり前のことを、普通のことをやってきただけ。と葛谷さんは言われる。
ただ、人間って"当たり前のことを、当たり前にやり続ける"って、至難の技じゃないですか。
他に目を向けて、そっちに行きたくなってしまうのが、人間の常なはず。
だから、隣の芝は青く見える。
でも、そうじゃなくて、自分たちのすべきこと、できること、本業である"梳毛の生地"を丁寧に織り続けることを貫いてこられた機屋さんです。
昔の背広は、重くて、着ていてとても暖かかったと言われます。
今はそんなスーツは、ほとんど目にしないと思う。
コストダウンや、生産効率の向上、無駄の削減。
そういうことばかりが言われるこの時代。
もちろん、そういうことも必要だと思う。
だけど、本当に良いものをつくろうと思ったら、それだけではない。
葛谷さんが昔から変わらず大切に考えていることは、 "新しい素材が手に入れば、まずはその素材がどうしたら最大に活きるのか" ということを第一にすることだそう。
それが無駄となってしまうこともあるかもしれないけど、機屋として、良いものを世の中に届けるために、変わらず探究し続けたいと言われていた。
それにどんなにコストがかかってしまっても、まずは、機屋として、その素材がどうなるのか興味があるし、それがその時には、無駄で終わってしまっても、その先にいつか役立つことがある。そう言われていた。
"全ては歴史が見ている" 100年を超える歴史の中で、自分たちの目先の利益だけを守ろうとすると、かえってそれが衰退を早めてしまう。
だから、自分たちはテーラーさんやブランドさんに喜ばれる生地をつくることを続けて、この先の100年に残していきたいと考えている機屋さん。
葛利毛織さんで働かれる87歳の現役の職人さんが"仕事にゴールはない"と言われているそうです。
何十年続けても、毎日新しいことが常に出てくるし、毎日が同じではないと。
いつもその環境でのベストを尽くすから、続けられるし、良いものができるのだそうです。
そのような歴史ある機屋さんが今回つくってくれた生地。
そのような歴史ある機屋さんの"探究心"、これまでの技術の集積で実現してくれ、葛谷さんが"極まったもの"と言って下さった生地。
その原料は、とても特殊で、とある牧場の名前が付いたもの。
その名前。
"フェレイラ・モヘア"
織り上げるのが困難な、"世界一の品質"と言われる原料を使い、100年を超える歴史の葛利毛織さんの技術で織ってもらった生地です。
本当に、すごく良いものができたと思っています。
続く。。。