このブランドの存在を知ったのは、もう何年前になるだろうか。
2011年から始動した"気仙沼ニッティング"。
発起人は、糸井重里さんだそうだ。
2010年の東日本大震災で、大きな被害を受けた宮城県気仙沼市。
その復興の一つの象徴としてスタートしたものでもある。
漁師町である気仙沼市は、イギリスのフィッシャーマンセーターのように、多くの女性がセーターを手編みしていたそうだ。
その地に根付く、文化、伝統とでもいうべき"手編みのセーター"。
今では、昔は手編みをしていたイギリスでも、ほとんどが機械編みになり、どんどん消えていくそのようなセーターの生産方法。
気仙沼ニッティングは、その全てを気仙沼の方々が手編みで一着のセーターをつくるブランドです。
一人の方が、一着を最初から最後まで。
このブログでも書いたことがあるけど、僕が7年ほど前、一番最初にバイイングをしたブランドは、"山内"と"MOTHER HAND artisan"。
そのMOTHER HAND artisanを取り扱ってから少しして、もう一つ新たに、セーターをつくっているブランドをと思って、当時、頭に思い描いたのが、"The Inoue Brothers"と"気仙沼ニッティング"だ。
どちらもとても世の中にとって"意味のあるもの"をつくっている。
その中で、The Inoue Brothersは、セーターは持っていなかったけど、それ以前から自分で使っている大きなブランケットや靴下を持っていたし、気仙沼ニッティングは知っていても、その当時は、取り扱いをしている前例のあるお店もなく、どうコンタクトをとって良いのかもよく分からなかったから、The Inoue Brothersを取り扱いして、気仙沼ニッティングは、諦めていたんですよね。
これが、5、6年前のことかな。
そうして、月日が流れ、今年、2023年に入ってから。縁があるんでしょうね。
当時、取り扱いすることを諦めた気仙沼ニッティングから、当店に連絡があった。
新たに取り扱ってくれませんか?どうですか。って。
これには、驚きましたよ。
まわりに回って、連絡をもらえるなんて。
気仙沼ニッティングは、御手洗瑞子さんがリーダーとして運営している。
はっきりと目指すことがあり、それを掲げて気仙沼で一貫したことを行ない続けている。
そういうところから、ファッションブランドではない。と僕は解釈してる。
御手洗さんが当店を知ってくれたのは、雑誌BRUTUSで全国47都道府県のセレクトショップが掲載されたのを見たそうだ。
御手洗さんが言ってくれるには、一つだけ違う感じで、気仙沼ニッティングにピッタリのお店がある。と思ってくれたそうだ。
もともと、気仙沼ニッティングは、名前の通り、気仙沼市に"メモリーズ"という名前の直営店がある。
以前には、東京の北参道にも直営店があったそうだが、コロナの影響だったと思うが、今はそれをなくし、そもそもの卸の展開というのをほとんど行なっていなかったそうだ。
時折、全国のどこかの都市で、期間限定のイベント形式で見ることができる機会を設けていたそうだが、御手洗さんご自身の事情にもより、そのように全国各地を動き回りづらい状況になったそう。
そのために、どこかで気仙沼ニッティングを紹介できる場所を探していたそうだ。
そのようなタイミングでBRUTUS。
そして、僕自身も以前に思い描いていた気仙沼ニッティングを取り扱い、皆様に紹介するということ。
このようにして、マッチング。
もともと、ファッションのサイクルとは少し変えて、寒くなってきた12月の時期に皆様に見てもらおうと思っていたので、このタイミングからご紹介しますね。
気仙沼ニッティング
etude
material _ WOOL 100%
color _ OATMEAL
size _ S,M,L
price _ ¥88,000-(in tax)
これ。
ガンジーセーターがモチーフになった、全て"手編み"の"etude (エチュード)"というモデル。
気仙沼ニッティングでは、他にもラインナップはあるのですが、当店のようなセレクトショップでは、ほとんど展開がないということもあったし、御手洗さんと色々なことを話し合って、まずはこの"etude"のモデルのみを取り扱うことにしました。
色は、オートミールのみ。
サイズは、Sは女性です。
Mは男性の標準的なサイズで、Lは男性の大きいサイズですね。
気仙沼ニッティングのセーターには、全てにこのようなタグが付属する。
この一着のセーターを編んだ方の似顔絵と、名前、そしてシリアルナンバーが入る。
これ。
セーターそのものは、箱に入れてお渡しをさせて頂きますが、このような手書きで編んだ方の名前が入る。
そして、御手洗さんの名前も。
御手洗さんと話をしていると、気仙沼ニッティグは、始動より時間をかけていろんなことが考え込まれてきたのを感じる。
最初は、一つのカーディガンを数着つくることから始まったそうですが、今では編み手の方も少しずつ増え、つくる人も、それを着る人もその輪が広がってる。
一般の方が編んでいるセーターですが、はっきり言って、シロート作品ではありません。全然。
そんなものなら絶対に取り扱わないから。
もともと、その地に昔から文化として根付いていた手編みのニット。
気仙沼ニッティングで定めた"基準"を達成できるまで、繰り返し、繰り返し、時間をかけてとにかく練習する。
一級品のクオリティになるまで、とにかく編み続けるそうだ。
そうして、出来上がったセーターは、誰が見ても納得してもらえると思いますよ。
その編み地の膨らみ、柔らかさ、細かい処理、着用感、そして、セーターそのものが放つものが感じられる。
当店で、取り扱いをするMOTHER HAND artisanのセーターは、"神のニット"と呼べる領域で、家庭用手横編み機を使ってつくられるけど、もう一つ、世界に誇るクオリティのセーターが当店に揃いました。
僕は、御手洗さんから連絡をもらってから、実際に気仙沼ニッティングのセーターの実物を何度も見て、そして、御手洗さんと何度も話をした。
気仙沼と岡山だから、まあまあ距離があるから電話とzoomで。笑
そして、僕が確実に感じたのは、セーターに御手洗さんの"本気の心"がすごく入ってるな。ってこと。
僕自身は、実物のセーターを一目見た瞬間に、すごく感じられることがあったんですけどね。
やっぱりリーダーとしてやってる人が何を思っているのかというのは、すごく気になってた。
そこから、まずバチバチに感じたのが、"気仙沼ニッティング"のセーターの品質への圧倒的な自信。
僕は、つくってる人がすごく自信を持ってるものが大好きだし、そうであるべきだと思う。
ただ、御手洗さんから感じられる自信というのは、盲目的な自信ではなく、これまでやってきたこと、気仙沼ニッティングとして積み上げてきたもの、そして、スタートから全く妥協をしてこなかったことから感じられるものだと思った。
気仙沼ニッティングというのは、
"その先にあるもの"をすごく大切に考えてる。
そのことがとても伝わるセーターだと思う。
御手洗さんが言われるには、"つくる人は嬉しいし、それを着る人も嬉しい"。
編む人は、自分が編んだ一着のセーターを、どんな人が着てくれるのか想像しながら、丁寧に、丁寧に、何十時間もの時間をかけて一着を編む。
正真正銘の"手仕事"。
そして、出来上がったセーターは、その一着に"心"が宿り、その上、忘れ去られたような温もりとともに、先述の通りの一級品クオリティ。
手にした人も嬉しくなり、その嬉しさの連鎖、"喜び"がすごく存在する洋服。
それが"気仙沼ニッティング"が持つ、大きな力の一つ。
"誰が何を思ってつくるのか"
ということが、僕は世の中のものづくりにおいて、とても重要なことだと思ってる。
世界的に見ても教養のあるはずの日本人は、多くの人が深く物事を考えることを辞め、というかそれが染み付いていない世の中になってしまっていると思うし、大変なこと、忍耐力が必要なこと、面倒なこと。そういうことはほとんど行われることがなくなったと思う。
全てが、合理的、効率的、時短とか、そういう方向に進んでいる。
洋服業界もそう。
ブランドを運営する"デザイナー"と世間から呼ばれる人であっても、自分で洋服をつくることはおろか、服の絵を描くことさえもできない、更には、自分のブランドの服を100%理解していないというような現状さえも僕は遭遇する。
なんでも、簡単に、一見すると"合格点"に見えるようなものが溢れてしまっているからだと思う。
僕にとって、そういう服は不合格。
洋服というものは、人の心を大きく動かせる力を持っているものだと思うし、時々、このブログでも書くけど、一人の人の人生さえもポジティブに変えることができるものだと思う。
本来は。
でも、今は、一着の洋服が浅はかなものが多すぎる。
しかも、そのような洋服の良し悪しは、多くの場合、スマホの画面越しで判断されてしまう。
更に言うと、洋服の"良し悪し"っていうのも、そのほとんどが見た目のデザイン性ということや、コーディネートのしやすさ、ということなんじゃないかな。
既に世の中に存在したもの同士のコピーとコピーを組み合わせたデザイン。
そういう現状では、僕は洋服という、本来は本当に尊い存在のものの価値観は永遠に高まることはないし、日本での"洋服文化"は育たない。
そして、日本の洋服づくりは、確実に衰退している現状。
今の時点では、全ての物価の高騰により、"安ければ良い"という価値は、以前よりも多少薄まったと感じてるけど、これからですよ。
僕自身は、洋服というのは、入口に"カッコいいかどうか"、出口に"カッコいいかどうか"という、入口と出口に"カッコいい"のかどうかという要素が大事だと思う。
だけど、"結局カッコいいかどうか"ということでは、決してないと思う。
その"入口と出口"の間に、重要なことが詰まっているし、そこでモノはハンパない程に大きく左右される。
だから、洋服というものは、その"中身"が非常に重要なのだ。
気仙沼ニッティングというブランドは、マジで中身が圧倒的な存在だ。
先日、Suvin Gold Supremeという繊維を使った洋服で、技術と熱意のある洋服業界の川上のカネタ織物さん、ファッションいずみさんに店頭に立ってもらった。
そのようなこと、気仙沼ニッティングのような思想、日本だけではなく海外を含めた、時には言葉にできない圧倒的とも思える唯一のクリエイションをするブランドを取り扱うこと、この大きな3つの柱が僕が皆様に伝え続けていきたいことだし、それがCASANOVA&COというセレクトショップ。
小売店というのは、単にものを売り買いしてるだけじゃダメですからね。
「川上・川中・川下」と分類したとき、僕らセレクトショップというのは、洋服業界の中で、最も一般のお客様方と近い立場。
だから、世の中の方々の洋服への捉え方、考え方、価値観というものを0.000001%くらいの可能性かもしれないけど、少しだけポジティブな方向に作用させてもらえることができるかもしれない。
そういうことを信じてやってる。
まあ、ここ1年以上は、常に自分の存在意義というものを考えながら過ごしてきたんですよ。
だけど、僕が本当に尊敬する方々やデザイナー、今日紹介してる気仙沼ニッティングなども通して、自分も背中を押してもらってる。
このブログも、むちゃくちゃ長いし、書くのがまあまあ大変だけど、NHKの「プロフェッショナル 〜仕事の流儀〜」で宮崎駿監督が言ってたから。
「大事なことはたいていめんどくさい」って。
世の中、大切なことは簡単ではないんですよ。
それは、何にでも当てはまること。
そういう意味で、最もアナログで、最も人の手が入り、最もダイレクトにつくり手の人間味が反映されるものだと思いますよ。
気仙沼ニッティング。
さっきも言ったけど、これまで当店で取り扱いをしてきた、"神のニット" MOTHER HAND artisanも超絶大変なヤバヤバなものづくりをしてるけど、今年からは、この二大セーターブランドを皆様に紹介させて頂きますね。
素材は、ウール100%。
今では、ウール100%のセーターで本気で勝負をしている洋服ブランドは、ほとんどないように思います。
気仙沼ニッティングのウール、チクチク感は、皆無。
これで、仮にチクチクするとか言われたら、我々はもうお手上げのレベルです。
ブランド始動時には、イギリスのアイルランド、アラン諸島にフィッシャーマンセーターの研究に行ったそうですが、その時から、気仙沼ニッティングで"オリジナル"の糸をつくることを考えたそう。
ウール繊維というのは、複数種類の羊の毛をブレンドすることが一般的なのですが、気仙沼ニッティングでは、その羊をどの種類同士をブレンドするのか、どのような配合で混ぜ合わせるのかということにも、研究と試作を繰り返したそうです。
昔からフィッシャーマンセーターが根付くイギリスでは、海風が強く、それから身を守るためにも、硬く糸を仕上げ、目も詰める。
そのためにゴワゴワしてしまい、決して着心地が良いとは言えない。
ただ、特有の編み柄は、立体的で綺麗に浮かび上がる。
気仙沼ニッティングで理想とするセーターの風合いを実現するために、京都で生み出した、世の中に同じものが存在しない"独自レシピ"のオリジナル糸。
これ、ホントすごい。
そして、単色ではなく、複数色が混ざり合い、優しい色が特徴のOATMEALで生産してもらいました。
写真のように、腕を広げると一直線。
etudeは、セーターの形で言うと、最も古典的な手編みのセーターの形状をしていますね。
これが、長年の着用により自然に着用者の肩の丸みが出てくる。
ウールが呼吸し、外気の湿度や体温により、少しずつ少しずつ、時間をかけて所有する人への馴染みが生まれる。
そして、機械編みのセーターよりも、太さのある糸が膨らみ、自然に目が詰まり、温かみと風合いがより一層高まってくれる。
手編みのウールセーターの恩恵を最大に感じられると思いますよ。
手編みということで、機械編みのセーターとは違い、ネックのシームもありません。
編み地がひと続きになって、形を構成してる。
肩から胸にかけて、立体的に浮かび上がった編み柄。
この箇所も、よく見ると一本の糸が繋がってできているのが分かると思います。
裾もご覧のように、編み地が切り替えられてる。
ただ、この箇所も身頃から編み地がそのまま続いて、別パーツでつくられていないし、縫製されていません。
あとは、一人の編み手の方が、最初から最後まで編んでいくということで、セーターそれぞれに"編み手のクセ"というものが出ているのですが、この裾の締まりもそれぞれが僅かに異なる。
こういうセーター特有の良いものだと思ってる。
これ。
袖口。
袖口も同様です。
あと、分かりますかね?
このセーターの"膨らみ"。
平置きしても、重力に逆らって、立ってるかのようにも感じる。
セーターに限らず、洋服は何でもそうなのですが、スピーディーにつくられたものほど、重力に負けてペタッと潰れてしまうものが多いように思うんですよね。
もちろん、気仙沼ニッティングのセーターには、それがない。
一つ一つの編み目の数を数えながら、じっくり編まれていたことが完成形からも、とてもよくうかがえる。
身頃の脇。
この箇所も前身頃、後身頃で切り替えられることがなく、前後がシームレスで繋がってる。
そして、裾に近くなると編み目の数が少しずつ減っているのが分かる。
これは袖。
袖も身頃の裾と同様。
左側が身頃側、右側が袖口側なのですが、左の身頃側に進むに連れて、一つずつ編み目が増えていってるのが分かると思う。
手編みの大変なところは、一着を編むのに膨大な時間がかかるため、忍耐力が必要なのはもちろんですが、サイズ寸法が決められている分、編み目を規格通りに正しく編み進めていくことが必要なんですよ。
当たり前だけど、一つ一つの目を、1.2.3.4.5.6.....というように数えながら、手で編んでいくから。
一着では、それが膨大な数になる。
だから、忍耐力と共に、高い集中力も求められるということ。
こういうものづくりって、現代では誰でもができることではないと思う。
そして、裏。
裏もとても整ってる。
袖口の裏側も手編みならではのとてもフラットな構造。
アームホールの箇所は、縫っているというよりは、本体と同じ糸で、身頃と袖を編んでつなげているって言った方が良いかもしれません。
肩周り、ネック周りも同様です。
このように昔ながらの手編みのセーターというものは、やはりその特有の人の手の温度が感じられると思う。
ただ、それが工業的な手編みではなく、編み手の方が名前を出して、一着を責任を持って仕上げる。
自分の編んでいるセーターを手にしてくれた人が気に入ってくれて、着る度に嬉しい気持ちになったら良いなということを願って編んでいる。
人が人のことを想ってつくる洋服。
何事もがどんどん加速的に進んでいってしまう世の中だけど、こういうものって特別に感じられることがあると思ってる。
だから、このセーターを紹介したくて、取り扱いをしました。
文字通りの"温もり"を、すごく感じられる洋服だと思います。
見てみてもらえたら嬉しいです。